「何もしないこと」をする【保存版】

“30秒”私にください!
整体×栄養×エネルギー療法で、手術や薬に頼らずに元気になる

いたみわすれ整体師
山川翔一です。

あなたは、老子の「無為の為」という言葉をご存知でしょうか?

コトバンクでは、

無為の為

特別なことは行わず自然のままにしておくことによって、すべてをうまくコントロールすること。
「老子」「荘子」で説かれている、老荘思想の考え方を示すことばから。たとえば、「老子―三」には、「無為をせばすなわち治まらざる無し(特別な政策を行わず人々を自然のままに行動させれば、世の中は必ず平和になる)」とあります。
引用元:コトバンク

と書かれています。

老子らしい、わかるようでわからない言い回しですね。

整体などの施術に関しては、私はこれが一つの答えだと考えています。

「治してあげたい」「治ってほしい」と思うのは自然なことですし、その気持ちがあるからこそ、普段から勉強して知識を身につけたり、セミナーに参加して技術を磨いたりできるのは間違いありません。

しかし、実際の施術現場では、その気持ちは足枷になり得るんです。

物理的な話で言えば、前のめりに「この人を治してあげたい」と思うほど、施術者の体は余分に力み、緊張しやすくなります。

その緊張は患者さんにも伝わり、患者さんの体も緊張してしまいます。

緊張して力が入っている状態では、同じ施術をしても思うように効果が出ません。

もし、施術方法が「強く押す」「グイグイ揉みほぐす」というような力技だった場合、「緊張して硬くなっている筋繊維を物理的に壊す」という、治療とは真逆の結果になってしまうことさえあります。

また、自分が治そうとする場合は外部から力や刺激を入れることになるので、患者さんの体は何かしらの形で反発します。

その反発が体の緊張という形で現れた場合は、やはり施術効果が低くなってしまいます。

次に精神的な話をすると、「想い」は「重い」ということ。

人間関係の中で、多少の気遣いや執着というのは発生するものですが、行きすぎた執着は「重い」んです。

気持ちも重苦しくなりますし、体でも重さを感じてしまうことがあります。

「どうしてもこの人に治ってほしい」という気持ちは、執着という重さになってしまいかねないんです。

そして、これは実際に体験しないとなかなか腑に落とすことができないんですが、「治そうとしない=患者さんの自然治癒力に任せる」ということをしていると、自分の知識や技術以上の施術結果が出るんです。

例えば私の整体院では、

・病院で頚椎ヘルニアと診断
横になるだけで首〜腕にかけて痛みと痺れが走り、夜も眠れない
・医師からは手術を勧められている

という状態の患者さんが、4回の施術で痛みも痺れもなくなった例があります。

また、

病院で多系統萎縮症(国指定難病17)と診断
・脳細胞の病変によってバランス感覚が失われており、片足立ちが全くできないため、ちょこちょこと小刻みにしか歩けない
・そもそも手すりなどの支えがないと、自力で立ち上がることも、立ったままでいることも難しい

という状態の患者さんが、5回の施術で支えなしの自力で歩行することができるようになり、しかも歩行時の歩幅が2倍以上になった例があります。

正直、私の知識や技術だけでは、このような結果は出せませんでした。

特に指定難病の場合は、現代医学では原因がわからないか、手の施しようがないから指定難病とされているわけです。

※指定難病

厚生労働省は、「発症の機構が明らかでない」、「治療方法が確立していない」、「希少な疾病である」、「長期の療養が必要である」という要件を満たす疾患を「難病」と位置付けている。
さらに難病のうち、「患者数がわが国で一定数(現在の基準18万人・人口の0.142%未満)に達しない」、「客観的な診断基準、またはそれに準ずる基準が確立している」という要件を満たす疾患を「指定難病」と位置付けている。
引用元:産学官連携ジャーナル

そんな病気をただの整体師が治せるわけがありません。

それでも症状が大きく改善してきているのは、患者さん自身の自然治癒力が働いて、細胞が自発的に治ろうとしているからに他なりません。

だから、普段の勉強の段階ではともかく、患者さんを目の前にしたときは「治ってほしい」と思うのではなく、「患者さんの体の自然治癒力に任せる。自分はその自然治癒力が万全に働けるようにお手伝いするだけ」という考えが重要だと、私は考えています。

もう一つ、面白い話をしましょう。

私が尊敬する治療家(カイロプラクター)の一人である上原宏先生が、アメリカのカイロプラクティックの大学で学んだという話です。

大学の先生が、生徒たちに向かってこう質問したそうです。

「ここにハンバーガーがあります。これを骨や筋肉、血液にしたい。どうすれば良いと思いますか?」

私も含めて、頭で考える人たちは「カルシウムが骨になって、タンパク質が筋肉になって、鉄分やその他栄養素が血液になって……」と理屈を考えると思います。

しかし、大学の先生の答えはこうでした。

「食べれば良いんです。体の機能が正常であれば、あとは体が一番良いように分解して、骨や筋肉や血液を作ってくれます」

私はこの話を聞いた時に、衝撃を受けました。

「食べれば良い」
「体の機能が正常であれば、あとは体が一番良いように分解して、骨や筋肉や血液を作ってくれる」

これ以上の真理があるでしょうか?

どれほど優秀な研究者でも、ハンバーガーを薬剤などで分解して、カルシウムやタンパク質を抽出して、骨や筋肉を作るということはできません。

それができるなら、人間の臓器や筋肉を自由に作ることができるようになって、移植手術などの再生医療はもっと成長しているはずです。

でも、私たちの体はそれができます。

機能が正常でありさえすれば、体にとって、一番効率よく、負担が少ない形で、勝手にやってくれるんです。

痛みや症状が消えるのも同じことです。

外部から、私たち治療家が治そうとしたのでは限界があります。

そうではなく、患者さんの自然治癒力が万全に働ける状態を作りさえすれば、あとは患者さんの細胞が、一番効率よく、負担が少ない形で、勝手に痛みや症状を改善してくれるんです。

治そうとするのではなく、患者さんの自然治癒力が万全に働ける状態に整えて、あとはそれに任せる。

それが整体師である私にとっての、無為の為です。